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大分地方裁判所 平成2年(わ)27号 判決

主文

被告人を懲役五年に処する。

未決勾留日数中一八〇日を右刑に算入する。

理由

(犯行に至る経緯)

被告人は、昭和四九年一一月五日Aと婚姻し、Aとの間には昭和五〇年に長女B子を、翌昭和五一年四月二九日に長男Cを儲け、以後家族四人で暮らしていた。Cは、幼い頃より緘黙症と思われる症状を呈し、家族以外の者とは全くと言っていい程口をきかず、甲野保育園や大分市立丁原幼稚園でも先生とほとんど口をきかないだけではなく、遊戯や集団行動にも参加できない状況であった。被告人は、このようなCの様子を心配して、一人で大分市内の社会福祉センターや大分県教育センターへ赴き相談をしたものの、有効適切な助言を受けられず、結局心配ながらもそのまま放置し、その後Cは、昭和五八年四月に大分市立乙山小学校へ入学し、秋ころ大分市《番地省略》所在の戊田アパート二階(以下「被告人方」という。)に家族とともに転居したため二年生次には同丙川小学校へ転校したが、依然その行動などは改善のないままであった。

そうこうしているうち小学校三年生の二学期頃に至り、Cは毎日灰色のフード付トレーナーのフードを頭にすっぽり被って登校し、そのまま学校生活を送るようになった。これを知った被告人は、Cに何度か注意をしたが、Cはなおも被告人に隠れて右トレーナーを着用し、そのフードを被ったまま学校生活を送っていたところ、小学校四年生の三学期にこれを被告人に知られ隠していたトレーナーを捨てられてしまい、これを機にCは、全く学校に登校しなくなった。被告人は、このようなCに対する対応に苦慮し、学校側からの働き掛けもあって、昭和六二年八月ころ大分県中央児童相談所へ相談に行くなどしていたものの、Cが徐々に家の外に出たり他人と接触することを極度に嫌うようになり、右相談所の専門員が被告人方を訪ねた際には、天井裏に隠れるなどし、その後は玄関のドアをノックする音や、呼び声がしただけで、すぐに奥の部屋に逃げ込み襖をしめて何かに怯えたようにじっとしているようになったことから、右相談所等にCを連れて行くこともできず、結局、何ら有効な解決策を見いだすことができないままとなった。

こうして被告人は、前途の開けない悶々とした日々を送るとともに、Cの事についてもあまり協力的でない夫Aに対する不満などから、その夫婦仲もしだいに悪化し、被告人自身も投げやりな気持ちとなっていった。そのような中、被告人は昭和六三年夏ころから居酒屋で働き始め、秋ころからは浮気をするようにもなり、同年一二月ころには知り合ったDと愛人関係になり、深夜仕事を終えたあとD方に立ち寄って朝帰りをするようにもなった。このためAが被告人に再三注意したが、被告人はその生活態度を改めず、Aとの夫婦仲も冷えきっていたこともあって、平成元年三月一〇日ついにAと協議離婚し、Aが長女B子を引き取り、Aの実家で生活し、被告人はCを引き取り、Cと二人で従前どおり被告人方で生活することとなった。

離婚後被告人は、Cが自分では部屋から外出することはなく、又食料品さえあれば自分で食事をするなどその日常生活に支障がないことから、Cを一人残し、Dとそのアパートで同棲生活を送るようになり、Dが入院したため被告人方でCと暮らした同年七月一日から同年一〇月八日までの間を除き、被告人方に残したままのCには、三日に一回位の割合でインスタントラーメン・菓子パン、調理済みの惣菜等の簡易な食料品を買って帰りこれを与える生活を続けていた。

この間、Cの症状は何ら改善されず、施設へ収容してもらうための具体的方策も見付けられなかった被告人は、その苦労から逃れたい気持ちと右のような状況のCをDやその家族に知られたくなかったことから徐々にCを養育する気持ちを失い、同年一〇月二五日ころ以降はCのもとへ食料を持ち帰らなくなった。そのため、それまで十分な食生活を送っておらず、痩せてきたCはますます痩せ細り、同年一一月一六日ころ、被告人が帰宅した際には、既に卓上コンロのガスボンベのガスも切れ、炊飯器の中の御飯にはかびが生えているという状態で、もはや食物も受け付けず、歩行もおぼつかない状態であった。

(罪となるべき事実)

被告人は、

第一  平成元年一一月一六日ころ、前記被告人方において、前記経緯よりC(当時一三歳)が痩せ衰え次第に衰弱して食物も受け付けず、歩行も困難な状態に陥っていることを認めたのであるから、その生存に必要な保護を加えるべき責任があるにもかかわらず、同棲中のDとの生活を重んじ、Cを養育することに伴う苦労から逃れたい気持ちとともに、右のようなCを医者に見せることを恥じるあまり、療養看護の措置はもちろん、医師の診察も受けさせずにこれを放置し、もって生存に必要な保護をせず、よって、同年一二月下旬ころ、同所においてCを飢餓死するに至らしめ、

第二、同年一二月二六日ころ、前記被告人方において、判示第一の犯行の結果Cが死亡していることを認めたのであるから、その死体を埋葬しなければならない義務があるにもかかわらず、自己の責任によりCを死亡させたことの発覚を恐れると共に世間体を恥じる余り、右死体を同所に放置して立ち去り、もって、死体を遺棄した

ものである。

(証拠の標目)《省略》

(法令の適用)

被告人の判示第一の所為は刑法二一九条(二一八条一項)に、判示第二の所為は同法一九〇条にそれぞれ該当するところ、判示第一の罪については、同法一〇条により同法二一八条一項所定の刑と同法二〇五条一項の所定の刑とを比較し、重い傷害致死罪の刑に従って処断することとし、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により重い判示第一の罪の刑に同法四七条ただし書の制限内で法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役五年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中一八〇日を右刑に算入し、訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。

(量刑の理由)

本件犯行は、判示のように被告人が食料を買ってきて与えない限り、他に食料を獲得することができない被害者Cの状態を熟知しながら、C養育に伴う精神的苦痛から逃れ、愛人との同棲生活を継続するために犯したもので、その動機は全く利己的であり、犯行態様も平成元年一一月一六日以後、被告人は同年一二月六日と同月一六日の二回にわたってCの状態が更に悪化していることを現認したにもかかわらず何ら保護の手段を取らないばかりか、愛人とその家族と共に使うため、Cの許に残っていた米や卓上コンロ等を持ち帰ったというのであり、さらにC死亡後も愛人との生活を従前どおり継続し、死体をそのまま被告人方に放置してこれを遺棄するなど悪質と言わざるを得ず、また被告人の本件犯行によって、未だ一三歳という若さで、治療如何によっては通常の生活を送る可能性が残されていた被害者が、食料もなく、料金未納のため電気・ガスのいずれも止められた室内で、両親の離婚後は唯一の保護者であった被告人の帰りを一人待ちながらその生涯を閉じたことは誠に悲惨であって、苦しみながら死んでいったCの心情は察するに余り有り、被告人の刑事責任は重大と言わざるを得ない。

他方、Cの緘黙症という病気は一般に馴染みがなく、Cも他人との接触を極度に嫌ったため、被告人をはじめ学校関係者や児童相談所等でもCの病気を正確に把握できず又そのため有効適切な治療がなされず、被告人自身はCが幼少のころからそれなりに努力を続けてきたのであり、その間には他人には窺い知ることのできない苦労があったと推察されるうえ、この苦労を共にし、助け合うべき前夫Aの協力は必ずしも十分ではなかったことに加え、被告人には前科・前歴がなく、本件犯行を反省悔悟していることなど、被告人のために斟酌すべき事情も存在するが、それらの事情を総合考慮しても、本件犯行の動機・犯行態様・結果等からみて主文掲記の量刑は止むを得ないところである。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 寺坂博 裁判官 松野勉 坪井宣幸)

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